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「奴隷船の歴史」 [世界史]

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  著者はアメリカの歴史研究家、マーカス・レディカー。
  原著は2007年にアメリカで出版された。

1 奴隷貿易
(1)奴隷貿易は15世紀末から19世紀末まで約400年間も続いた。この間に1,240万人が奴隷船に積まれ、航海の途中で180万人が命を落とし、海へ投げ捨てられた。生き延びた1,060万人は目的地で買い取られ、殺人的なプランテーション労働に投じられた。

(2)さらに、アフリカで捕らえられた人々のうち、捕まってから奴隷船に乗せられるまでの間、移動中あるいは海岸の収容所に閉じ込められている間に死亡したものがいる。これは控えめにに見積もって捕らえられた人の15%程度、180万人ほどと考えられる。

(3)アメリカ大陸で労働が始まってからも、1年以内にさらに15%程度、150万人が死亡している。全体では、1,400万人が捕らえられ、うち500万人が1年以内に亡くなったことになる。

2 プランテーション
(1)17世紀に、ブラジル、カリブ海地域、北アメリカでプランテーション(大規模農園)が始まった。1650年代には砂糖生産が広まった。いくら供給しても労働力が足りないという状況になった。最初はヨーロッパの年季奉公人が連れてこられ、やがてそれを圧倒的に上回る数のアフリカ人奴隷が持ち込まれた。

(2)彼らは農園主に買われ、極めて厳しくかつ暴力的な監視下で、世界市場のための商品の大量生産に強制的に従事させられた。

3 三角貿易
(1)奴隷船はヨーロッパの港から様々な製品を積んで西アフリカに向かい、その貨物と奴隷を交換し、アメリカに向かった。アメリカでは奴隷を売って、砂糖、タバコ、米といったプランテーションの産物を手に入れた。

(2)奴隷貿易には膨大な経費がかかり、様々な人的・物的資源を投入する必要があった。初期の段階においては、国家主導で貿易の基礎構造が築かれたが、その後、巨大な資金力を持つ貿易商の独壇場となった。

(3)すべてうまくいったときには、投資した金額と同じだけの利益が得られた。しかし、病気、反乱、難破、敵対国の私掠船による強奪などの危険のためとてつもない損失を被ることもあった。奴隷貿易の平均利益率は5~10パーセント程度とみられ、当時の基準では並外れてよいわけでもなかった。

4 奴隷の確保
(1)奴隷制はアフリカのこの地域のほとんどの社会に古くから存在した。奴隷になるのは、戦争捕虜と犯罪人と決まっていた。7世紀から19世紀までの間に、北アフリカのアラブ商人によるサハラ縦断交易によって、900万人以上が北へと運ばれた。

(2)ヨーロッパ人が奴隷貿易に加わるようになると、銃と火薬を手に入れた現地の集団がそれを使用して近隣の人々を支配し、奴隷を得て、それを売ることによりさらに銃火器を手に入れることができた。

(3)西アフリカの海岸にやってきた奴隷船の船長は、資金を出した貿易商の指示により、奴隷を集めた。ほとんどの商人は若者を買うように指示した。12歳から25歳までで、男二人に女一人の割合が当時の標準であった。生きて航海を終えられる可能性が最も高いのは、体力のある健康な若者であった。

(4)西アフリカ海岸での奴隷の買い入れは時間がかかる。現地の商人が一度に連れてくる奴隷の数は、一人か二人。奴隷たちは、買い入れが終了するまで6か月かそれ以上を奴隷船上で過ごし、さらに6週間から10週間の航海に耐えなければならなかった。

<船内の様子>
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